大判例

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大阪地方裁判所 平成元年(ワ)5823号 判決

原告

高嵜順子

被告

服部正也

主文

一  被告は、原告に対し、金一四四万三九一四円及びこれに対する昭和六三年六月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを五分し、その一を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

四  この判決の一項は、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

被告は、原告に対し、金七四〇万四四七一円及びこれに対する昭和六三年六月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、自動車の衝突事故にあつて負傷した者が、自賠法三条に基づき、損害賠償(治療費、休業損害、後遺障害に基づく逸失利益、慰謝料等七三〇万五二五八円及び弁護士費用七〇万円の合計八〇三万五二五八円の内金請求)を請求した事件である。

一  争いのない事実

1  交通事故の発生

次の交通事故が発生した。

(一) 日時 昭和六三年六月一二日午後六時一五分頃

(二) 場所 大坂府寝屋川市中木田町三〇番一六号先路上(市道)

(三) 加害車 普通乗用自動車(大坂五三ろ五三四三号)

右運転者 被告

(四) 被害車 普通乗用自動車(大坂五二り一七七二号)

右運転者 高嵜健司(以下「健司」という。)

右同乗者 原告

(五) 態様 直進中の加害車が右折中の被害車と出会い頭に衝突した。

2  責任原因(自賠法三条)

被告は、本件事故当時、加害車を保有し、これを自己のために運行の用に供していた。

3  受傷内容及び治療の経過等

原告は、本件事故により外傷性頸部症候群の傷害を負つたと診断され、また、星ケ丘厚生年金病院では外傷性神経症の診断名が付加され、次のとおり治療を受けた。

(一) 上山病院

(1) 昭和六三年六月一三日通院(実日数一日)

(2) 昭和六三年六月一四日から同月二五日まで入院(一二日)

(二) 結核予防会大阪支部大阪病院(以下「大阪病院」という。)

(1) 昭和六三年六月二七日から同年一一月二八日まで入院(一五五日)

(2) 昭和六三年一二月九日から平成元年三月七日まで通院(実日数一〇日)

(三) 星ケ丘厚生年金病院

昭和六三年一一月八日から平成二年三月一四日まで通院

4  損害の填補

原告は、損害賠償として、次のとおり合計一六七万三七七〇円の支払いを受けた(ただし、填補の関係に立つかは一部争いがある。)。

(一) 上山病院の治療費 四三万円

(二) 星ケ丘厚生年金病院の治療費(一部) 三万二七四〇円

(三) 休業補償等 一二一万一〇三〇円

二  争点

被告は、原告主張の損害額を争うが、主たる争点は次のとおりである。

1  原告の受傷の程度、外傷性神経症の本件事故との因果関係、必要な治療期間等

〔被告の主張〕

本件事故は軽微な正面衝突に近い事故で、被害車の同乗者は負傷していないうえ、原告の訴える症状は、レントゲン検査や神経学的な検査等による他覚的所見のまつたくない自覚症状のみであり、仮に原告が鞭打ち損傷の受傷をしたとしても、三か月程度の通院治療で治癒もしくは症状固定に至るものである。原告は入院治療も必要なかつたし、また、本件受傷による就労能力の制限もなく、右期間を超える症状は心因性の神経症であつて本件事故との相当因果関係はない。

2  後遺障害の有無

原告は、本件事故により自賠法施行令二条別表後遺障害別等級表の一四級一〇号に該当すると主張し、被告はそれを争う。

3  寄与度減額

〔被告の主張〕

前記の本件事故による衝撃の程度及び原告の症状からすれば、三か月を超える治療は、本件事故とは関係のない原告の性格等に起因するヒステリー様症状や精神的疾患によるものであるから、仮に因果関係が認められるとしても、民法七二二条の類推適用により、その心因的要因の寄与した度合いに応じて損害額が減額されるべきである。

第三争点に対する判断

一  原告の受傷の程度、相当な治療期間、後遺障害の有無等

1  本件事故の状況及び原告の受けた衝撃の程度

(一) 前記第二の一の争いのない事実に、証拠(甲一号証の4ないし7、二号証の1、2、乙一号証、原告本人)及び弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。

(1) 本件事故現場付近の状況は別紙図面のとおりである。

本件道路は、アスフアルト舗装された平坦な道路であり、本件事故当時の天候は晴れで、路面は乾燥していた。

(2) 被告(当時一九歳)は、加害車(いすずピアツツア)助手席に友人(当時二〇歳)を乗せて本件道路を南から北に進行していたところ、本件事故現場の手前付近で前方車両が渋滞停止中であつたので、前車(〈A〉)の後方に一旦停止した。しかし、前方の〈B〉車が西に曲がるために停止しており、また、対向車線を進行してくる車両がなかつたので、渋滞車両の先に行こうとして、対向車線にはみ出して進行し、約三六・八メートル進行した〈3〉付近に至り、約一三・五メートル前方を右折してくる被害車(〈ア〉)を発見し、急ブレーキをかけると同時にハンドルを右に切つたが、約一二メートル進行した〈4〉付近において自車左前部を被害車(〈イ〉)の左前部とに衝突させ、加害車は、約二・六メートル進行した〈5〉付近に停止した。

(3) 被害車(トヨタ・コロナ)は、別紙図面記載の踏切を渡り、時速約一〇キロメートルの速度で右折中であり、健司(原告の夫、当時四七歳)は、加害車が進行してくるのを認めて急ブレーキをかけたが、〈イ〉付近で衝突し、被害車は〇・五メートル押し戻されて、〈ウ〉付近に停止した。

本件事故当時、原告(昭和二一年三月三日生、当時四二歳)は、被害車の助手席に座り、運転席後部座席に座つていた長女(一九歳)の方を向いて話していた。なお、原告及び健司は、本件事故当時、シートベルトを着用していた。

(4) 本件事故により、加害車は左前角バンパー、フエンダー、ボンネツト等が、被害車は前部左側バンパーがそれぞれ凹損するといつた損傷を受けたが、原告を除く他の者には怪我がなかつた。

なお、本件事故直後に行われた実況見分の際に、加害車及び被害車のものと考えられるスリツプ痕は発見されなかつた。

(二) 以上の事実が認められるところ、甲一号証の5(被告の司法警察員に対する供述調書)中には、加害車は〈3〉付近で時速約五〇キロメートルの速度で進行していた旨の記載部分が存する。しかしながら、前記の道路状況のもとで、摩擦係数を〇・七、反応時間〇・八秒とした場合、その空走距離は一一・一一メートル、制動距離は一三・七九メートルとなり、その停止距離は二四・九メートルと計算されるところ、右数値は、前記の加害車が急ブレーキをかけてから被害車と衝突するまでの距離や衝突してから停止するまでに進行した距離とは著しく乖離し(しかも、スリツプ痕も残されていない。)、また、加害車は制動効果があらわれ始めた時点で衝突したことになるが、そうだとすると加害車及び被害車の各損傷の程度とも符合しないと考えられ、これらの点を考慮すると、加害車の右速度が時速約五〇キロメートルもの高速であつたとは到底認められないというべきである。

他方、乙一号証(日本交通事故鑑識研究所工学士大慈彌雅弘作成の鑑定書)によれば、本件衝突時の加害車の対固定壁換算速度(実効衝突速度)は最大に見積もつても時速約四キロメートルであるとされる。しかしながら、右は主として写真観察による被害車及び加害車の損傷状況に大きく依拠しているうえ、加害車については左フロント・フエンダー部に軽微な凹損が観察されるだけであるとして、実況見分調書に記載されたバンパー、ボンネツトの凹損等は考慮に入れられていないこと、さらに、前記加害車が衝突までに進行した距離や衝突後停止するまでに進行した距離等を考慮すると、加害車の衝突時の速度が右のような低速であつたとまでは認めがたく、右の意見を採用することはできない。ただ、各車両の損傷状況に、前記加害車が衝突までに進行した距離や、衝突後停止するまでに進行した距離、また、被害車が押し戻された距離等を併せ考えると、本件証拠上、加害車の衝突時の速度を明確にはしえないものの、その速度は比較的低速であり、原告が受けた衝撃の程度も比較的軽微なものであつたと推認することができる。

2  原告の症状及び治療の経過

前記第二の一の争いのない事実に、証拠(甲一号証の8、三号証、四及び五号証の各1、2、六、七号証、八号証の1、2、九ないし一四号証、一六号証、一九号証の1ないし13、二一、二二号証、二三号証の1ないし73、乙二ないし五号証、証人原田茂、原告本人)及び弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実を認めることができ、原告本人尋問の結果中右認定に反する部分は前掲乙二ないし五号証の記載に反し、信用できない。

(一) 上山病院における症状及び治療の経過

(1) 原告は、本件事故直後は特に異常を訴えなかつたが、同日(六月一二日)夜から吐き気等を訴え、その翌日(六月一三日)の午後、寝屋川市所在の上山病院において診察を受け、首が回らない、吐き気がする、頸部に強い鈍痛があるなどと訴え、外傷性頸部症候群により同日から一〇日間(入院五日間、通院五日間)の加療を要すると診断された。そして、医師から入院による安静を勧められたが、家庭の事情があるというので、自宅安静で様子をみることとされた。

(2) しかしながら、原告は、その翌日に同病院で受診して嘔気が持続すると訴えて入院を希望し、同日から入院した。そして、原告は、嘔気、頸部や肩の重い感じ、頸部の運動制限、食欲不振、倦怠感、不眠、霞視(同月二一日から)等を訴えて、投薬、点滴、湿布等の治療を受け、同月二三日には、同月二五日からの試験外泊も可能と診断されたが、同病院の治療内容等に不満を持ち、原告及び夫の強い希望により、大阪病院に転医することになつた。

なお、原告は、入院中、ベツド上安静を指示され、喫煙も禁止されていたが、ときどきベツドから抜け出して喫煙するなどしたため、看護婦が病院内を探し回つたりしたこともあり、ベツド上安静及び禁煙の注意をしばしば受けていた。

(3) 原告については、同病院における初診時のレントゲン検査で頸椎の直線化を指摘されたが、頭部CT検査の結果では特に異常が認められなかつた。

(二) 大阪病院における症状及び治療の経過

(1) 原告は、同年六月二七日、寝屋川市所在の大阪病院で受診し、頭痛、頸部痛、嘔気等を訴えて入院を強く希望し、外傷性頸部症候群と診断されて、安静の必要があるというので入院が許可された。

なお、右入院時に、原告は、看護婦に対し、自己の状態について苛々時には動悸が起こり、呼吸困難となる、排尿回数も増加すると説明し、また、看護記録には神経質な人であり(主治医の原田医師も、この見方に賛成している。)、苛々すると血圧が上昇すると記載されていた。

(2) 右入院後、原告は、頸部痛及び頸部の運動制限、頭痛、嘔気、手の痺れ感、不眠等を訴え、投薬、点滴、湿布等の治療を受けていたが、同病院におけるレントゲン検査では特段の異常は認められず、神経学的検査でも異常はなかつた。そして、同年七月四日には頸部痛は軽快傾向にあるとされ、同月八日には頸部の周囲に強い圧痛があるものの、運動制限はかなり改善されているとされ、同月一一日からホツトパツクの、同月一九日からは運動療法の治療を受け始めた。

その後の原告の症状は、日によつて変動はあるが、頸部の可動域制限はそれほど見られず(同年一〇月一九日には、ほぼ一〇〇パーセントと診断されている。)、その主な症状は頸部痛、頭痛、嘔気、不眠、苛々感、全身倦怠感等といつた自覚症状であり、ときどき全身の痺れ感、左下肢の鈍痛、顔のむくみ等を訴えていた。なお、原告は、同年八月下旬に左眼が霞むと訴えたが、眼科医師から近視性乱視(左)と診断され、本件事故に起因する異常は認められなかつた。

(3) ところで、原告は、同年六月三〇日には外出(二時間)も許され、同年七月六日には外泊も許可されたが、父親の病気が重かつたことや家の用事で同月中旬頃から外泊が頻繁となり、しかも次第に二日、三日と続けて外泊するようになつて、それに対応して次のとおり運動療法を受ける回数も少なくなつていた。

〈省略〉

(4) 右のとおり、原告は、頻繁に外出、外泊を重ねていたものであるが、同年一〇月二二日、外出中に車の運転をしていたところ、突然体が痺れ、息苦しさや胸痛が出現したとして救急車で病院に戻つてきた。しかし、その翌日にはそのような訴えもなく再び外出し、同月二四日、二五日にも外出し、同月二六日には全身状態良好と診断され、同月二八日から外泊をしたが、同年一一月二日、「外泊中に二度目の発作があり、上半身が金縛りになり、呼吸困難になつた。」などと訴える至つた。(しかしその翌日にはまた外出し、同月五日からは三泊の外泊をしている。)。

前記原田医師は、原告の胸内苦悶は外傷性頸部症候群に特有の症状ではなく、過換気症候群ではないかと疑い、また、金縛りの症状は、ヒステリー様症状と考え、星ケ丘厚生年金病院精神科の診察を受けさせたところ、同月八日、同病院の横山医師は、原告の症状を過換気症候群と診断し、「呼吸困難は不安症状に基づき、体の痺れは過換気症候群によるものであり、交通事故後の心理的後遺症とでもいうべきである。」旨回答し、原田医師もこの診断が妥当なものと判断していた。

(5) 前記のとおり、原告の症状は日によつて変化があつたものの、全般的にみると大きな変化がない状態のまま推移し、原告は、昭和六三年一一月二八日に退院した(入院一五五日)。

そして、退院後も一か月に三、四回、同病院に通院して、頭痛、頸部痛、肩が締まる感じ、嘔気、呼吸亢進、左手の冷感等を訴えて投薬等の治療を受けていたが、保険会社の担当者から転医を勧められ、平成元年三月七日、大阪病院での治療を中止した(退院後の通院実日数一〇日)。

(三) 星ケ丘厚生年金病院における症状及び治療の経過

(1) 原告は、平成元年三月一三日、星ケ丘厚生年金病院の整形外科で受診したところ、荻野医師は、レントゲン検査の結果及び神経学的所見には異常がなく、外的な問題より心因性の問題が大きいと診断し、リハビリを継続するとともに、神経科による経過観察が必要であると診断した。そして、原告は、同日に同病院精神科で受診したが、そこで行われた心理テストにおいて総合所見として神経症圏にあると判定された。

(2) 原告は、その後、同病院の整形外科、理学診療科及び精神科に通院して、投薬(精神安定剤、睡眠薬等)、運動療法、ホツトパツク、マツサージ、精神療法等の治療を受けたが、原告は、日によつて違いはあるものの、概ね後頸部の鈍痛、運動制限、前腕や両手の痺れ感、睡眠障害、頭痛、嘔気、流涙、胃のつかえ、苛々感等を訴えていた。

なお、原告は、同年四月二五日に精神科で受診した際、弁護士をたてたという保険会社からの文書を読んでいて腹立たしくなり、頭痛が起こり、嘔吐したと訴えた。

(3) 原告の訴える症状は、さほど大きな改善が見られないまま推移し、平成二年三月一四日、同病院精神科の三上医師により、次のような後遺障害の診断がなされた。

ア 傷病名 外傷性神経症

イ 症状固定日 平成二年三月一四日

ウ 自覚症状 胸内苦悶、不安、痺れ感、不眠

エ 精神・神経の障害、他覚症状及び検査結果 不眠傾向強い、時に嘔吐があつたり、全身が痺れる発作が生ずる、両手の知覚異常が生じるときもある、脳CT・脳波正常等

オ 障害内容の増悪・緩解の見通しなど 外傷を契機とした神経症であるが、患者を取り巻く状況の変化によつて症状は変動すると考えられる。

3  原告の受傷の程度等

右1及び2の事実を前提として、原告の受傷の程度、相当な治療期間、後遺障害の有無等について判断する。

(一) 外傷性頸部症候群の症状の程度、外傷性神経症との因果関係

前記のとおり、本件事故により原告が受けた衝撃の程度は比較的軽微なものであり、しかも、本件事故によつて受傷したのは原告のみであること、また、原告の症状は、レントゲン検査や神経学的な検査等から窺われる他覚的な所見に乏しい自覚症状(頸部痛、頭痛、嘔気等)が中心のものであること(もつとも、原告の頸椎に関しては上山病院におけるレントゲン検査で直線化を指摘されたことがあるが、大阪病院の入院時の検査やその後の検査並びに星ケ丘厚生年金病院における検査では外傷に起因するような異常はなんら認められておらず、右のような直線化の異常があつたとしても、ごく僅かなものであつたか、上山病院における治療中に消失したものと推認される。)、その他、原告の訴える症状の内容及び推移に、前記の治療経過を併せ考えると、原告の外傷性頸部症候群は、頸部軟部組織損傷型の比較的軽度なものであつたと認められる。

そして、右のような場合は、一般的には、入院安静を要するとしても長期間にわたる必要はなく、その後は多少の自覚症状があつても日常生活に復帰させて適切な治療を施せば、短期間のうちに普通の生活をすることが可能となるものと考えられるところ、原告は、安静が特に必要な受傷の初期の段階で必ずしも安静を守らず、また、強く希望して入院したにもかかわらず、大阪病院で頻繁に外泊、外出を重ねて十分な治療を受けず、自己の症状を悪化ないしは遷延化させたものというべきである。それのみならず、原告は、本件事故後、もつぱら原告の性格等の心理的な要因に起因する外傷性神経症を引き起こし(上山病院や大阪病院の入院当初に訴えていた症状も原告の神経質な性格に起因し、あるいはそれによつて外傷性頸部症候群の症状が増幅された可能性も大きいが、その典型的、具体的な身体的症状が出たのは昭和六三年一〇月二二日であると推認される。)、その後、外傷性頸部症候群の症状を持続させ、また、胸内苦悶、不安、不眠等の症状を呈するに至つたものであると認められる。

この点について、被告は、神経症に基づく症状と本件事故との間には相当因果関係がないと主張するが、その症状の発現時期、態様、症状の推移に前記の各医師の所見を考慮すると、右症状は、父親の病気等の事情が重畳的に影響していた面は否定できないにしても、本件受傷を契機として発現したものであると認めるのが相当であり、本件事故との因果関係を否定することはできないと考えられる(ただし、これらの事情は寄与度減額の事由になることは後記のとおりである。)。

(二) 相当な治療期間(症状固定時期)

前記のとおり、原告の受傷は比較的軽度なものであり、一般的には短期間で治癒ないしは多少の自覚症状を残して症状固定に至るものというべきであるところ、前記大阪病院における長期の治療でも特段の改善は見られず、原田医師も常識的な線である受傷後三か月とか、半年とか、そういう切りのいいところで症状固定という話をしても差し支えなかつたかなという気がすると述べている(同証言21丁裏)。

しかしながら、原告は、前記治療の過程で外傷性神経症を引き起こし、その治療が必要であつたこと、それが外傷性頸部症候群の症状を悪化ないしは治療を遷延化させたものであり、外傷性頸部症候群の治療のためにも右神経症に対する治療が必要であつたと考えられること、さらに、原告が専門医による治療を受け始めたのは平成元年三月中旬以降であり、このような治療には相当の期間を要すると考えられるところ、星ケ丘厚生年金病院の精神科医師は原告に対し約一年間にわたる精神療法等の治療を加えたのちに症状固定の診断をしたものであること等を考慮すると、頸部痛等に対する治療は既に対症療法的な効果しか得られなくなつていたものと認められるが、原告の症状を全体的に見た場合、その症状固定時期は前記症状固定と診断された平成二年三月一四日とするのが相当であり、それまでが本件事故と相当因果関係にたつ治療期間というべきである。

(三) 入院治療の必要性

(1) 前記症状及び治療の経過に、本件のような受傷の場合は初期の安静が必要であることを考慮すると、上山病院への入院必要性、相当性はこれを肯定することができる。

(2) しかしながら、大阪病院への入院の必要性については、前記の上山病院に入院中の原告の行動のみならず、大阪病院入院後の原告の症状及び治療の経過、特に、原告に対しては受傷から約一か月後の七月中旬以降ホツトパツクや運動療法の治療が開始され、安静加療の必要性が消失していたことや、原告は七月中旬から頻繁に外泊、外出を重ねたことなどを考慮すると、原告の心因的な要因を斟酌しても、大阪病院における相当な入院期間はせいぜい四週間を限度として認められるに過ぎないというべきである。この点に関する原田医師の所見は、前記の各事情に照らし、採用することができない。

3  後遺障害の有無

原告は、本件事故により、自賠法施行令二条別表後遺障害別等級表一四級に該当する後遺障害が残されたと主張するが、前記症状及び治療の経過に、前記の三上医師の所見を考慮すると、原告には前記後遺障害診断のなされた当時自覚症状が残存した状態となつたことは認められるが、それが右等級表に該当する程度のものであつたとは認められない。

二  損害額〔原告主張額七三〇万五二五八円〕

1  治療費 一八五万〇一二〇円

被告は、被告が支払つた上山病院の治療費及び星ケ丘厚生年金病院の治療費(一部)をも総損害額に計上し、寄与度減額をしたうえ右既払額を控除すべきであると主張するので、以下、これらの治療費の総損害額に含めることとする。

(一) 上山病院分 四三万円

同病院における治療費として、右金額を要したことは当事者間に争いがない。

(二) 大阪病院分 一三〇万〇五九〇円

(1) 同病院における昭和六三年六月二七日から平成元年三月七日までの治療費として合計二五三万三三六八円を要したことは当事者間に争いがない。

(2) 前記のとおり、原告の同病院における入院の必要性は四週間を超えて認めることはできないので(なお、原田医師の所見に照らし、その間の室料差額(六月は二人部屋、七月は一人部屋)は相当損額と認めることとする。)、その分の入院料(室料差額、衛生管理費及び私物電気代を含む。)を控除した額が本件事故による相当損額というべきであり、甲五号証の1、2、六、七号証、八号証の1、2、九ないし一四号証、乙六号証の1によれば、その額は次のとおりとなる(一円未満切捨て。以下、同じ)。

ア 昭和六三年六月二七日から同月三〇日まで 二〇万〇五〇〇円

イ 昭和六三年七月一日から同月三一日まで 七七万一二〇六円

934,120-(26,834×20+180,000+4,800)÷31×7=771,206

ウ 昭和六三年八月一日から同月三一日まで 二〇万六五〇〇円

802,200-(23,665×20+117,000+5,400)=206,500

エ 昭和六三年九月一日から同月三〇日まで 二万九二三〇円

191,992-(22,454×10×0・3+90,000+5,400)=29,230

オ 昭和六三年一〇月一日から同月三一日まで 三万一〇九四円

195,152-(21,886×10×0・3+93,000+5,400)=31,094

カ 昭和六三年一一月一日から同月三〇日まで 二万一八三三円

161,177-(19,768×10×0・3+75,000+5,040)=21,833

キ 昭和六三年一二月一日から平成元年三月七日まで 四万〇二二七円

(三) 星ケ丘厚生年金病院分 一一万九五三〇円

(1) 昭和六三年一一月八日から平成元年三月三一日まで 二万八九四〇円

(甲一六号証)

(2) 平成元年四月一〇日から平成二年二月二一日まで 五万七八五〇円

(甲二三号証の1ないし73)

(3) 右以外 三万二七四〇円

これは、被告が同病院の治療費分として原告に支払つた金額であり、弁論の全趣旨によれば、右(1)及び(2)に含まれない同病院における治療費であると認められる。

2 入院雑費 五万二〇〇〇円

上山病院の入院日数は一二日間であり、大阪病院における相当な入院期間は二八日であるところ、入院雑費は一日当たり一三〇〇円と認めるのが相当であるから、四〇日間で右金額となる。

3 通院交通費 〇円

(一) 原告は、前記各病院への通院に次のとおりタクシーを利用し、その費用として一回(往復)当たり七〇〇〇円を要したと主張する。

(1) 上山病院通院分 一回 七〇〇〇円

(2) 大阪病院通院分 一〇回 七万円

(3) 星ケ丘厚生年金病院通院分 七七回 五三万九〇〇〇円

(二) しかしながら、原告の前記症状及び治療の経過等によれば、上山病院への通院にはタクシー利用の必要性、相当性を肯定できる可能性があるが、その費用を認めるに足りる証拠は存せず(甲一六号証、一七号証の1ないし6及び原告本人尋問の結果によれば、枚方市内にある星ケ丘厚生年金病院への片道のタクシー代は三三七〇円ないし三七八〇円であるのに、原告の住所地と同じ寝屋川市内にある上山病院への片道のタクシー代が三五〇〇円であるとは到底認めがたい。)、その余の通院については、特にタクシーによる通院が必要であつたとまでは認められないというべきである。

4 休業損害 一四六万六〇〇〇円

(一) 証拠(甲一号証の6、7、原告本人)によれば、原告は、本件事故当時、塗装業をしている夫と子供三人(息子二人と一九歳の娘)と同居し、家事労働に従事するとともに、家業の事務の仕事をしたり、従業員の食事の世話などをしていたことが認められ、したがつて、原告の主張する昭和六三年賃金センサス産業計・企業規模計・女子労働者・学歴計の全年齢平均の年収額二五三万七七〇〇円程度の財産上の収益をあげていたものと推認できる。

(二) そして、前記症状及び治療の経過、特に原告の訴える症状の内容、程度、入院中の外出、外泊等の状況に加えて、原告は右外出、外泊中に車の運転をしたこともあることなどを考慮すると、原告の治療期間の一年九か月のうち、本件受傷後一か月間は就労能力を一〇〇パーセント制限されていたものと認め、その後の八か月間(大阪病院での治療打ち切つた頃まで)については平均して五〇パーセント程度の、さらにその後の一年間(星ケ丘厚生年金病院での治療中の期間)は平均して二〇パーセント程度の就労能力の制限があつたものとして休業損害を算定するのが相当である。

右によれば、その損害は計算上次のとおりとなり、原告主張の損害額を上回るから、原告主張の金額をもつて相当な損害額と認めることとする。

(算式)

2,537,700÷12=211,475 〈1〉

2,537,700÷12×8×0・5=845,900 〈2〉

2,537,700÷12×12×0・2=507,540 〈3〉

〈1〉+〈2〉+〈3〉=1,564,915

5 後遺障害による逸失利益 〇円

前記認定のとおり、原告に労働能力の一部制限を来すような後遺障害が残されたものとは認められないので、原告の右請求は理由がない。

6 慰謝料 九〇万円

以上認定の受傷の内容及び程度、症状及び治療の経過、その他諸般の事情を考慮すると、本件事故によつて原告が受けた肉体的、精神的苦痛に対する慰謝料としては、九〇万円とするのが相当である。

(以上1ないし6の合計 四二六万八一二〇円)

三  寄与度減額

前記のとおり、本件事故による受傷及びこれに起因して原告に生じた損害は本件事故のみによつて通常発生する程度、範囲を超えているものというべきところ、本件においては、原告の心因的要因が多彩な症状の発現及び治療の遷延化に影響を与えていたものというべきであり、また、原告は安静が特に必要な受傷の初期の段階で必ずしも安静を守らなかつたり、頻繁に外泊、外出を重ねて十分な治療を受けず、自己の症状を悪化ないしは遷延化させたものというべきであるから、このような事情のもとでは、原告に生じた損害の全部を被告に負担させることは公平の理念に照らし相当ではないと考えられる。

したがつて、本件の損害賠償の額を定めるに当たつては、民法七二二条二項の過失相殺の規定を類推適用して、その損害の拡大に寄与した度合いに応じて控除するのが相当であるところ、前記諸事情を考慮すると、その割合は三割とするのが相当である。

右によれば、原告が請求しうべき損害額は二九八万七六八四円となる。

四  損害の填補

原告は、本件事故の損害賠償として、被告から前記のとおり合計一六七万三七七〇円の支払いを受けたので、これを前項記載の損害額から控除すると、被告が原告に賠償すべき残損害額は、一三一万三九一四円となる。

五  弁護士費用〔主張額七〇万円〕 一三万円

本件事故と相当因果関係にある弁護士費用相当の損害額は、一三万円と認めるのが相当である。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 二本松利忠)

別紙 略

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